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ヴァレリオ・オルジャティの建築は、
ポリフォニーのように複数の声が語りだす静かな物語のようでした。 ヴァレリオ・オルジャティはスイスの建築家です。しかし同時に世界中の様々な場所でプロジェクトを展開しています。彼の作品群は、それぞれの土地の風土性やコンテクストを十分考慮しており、その場所に溶け込み、あたかも、元々そこにあった建築のような表情を持っているようです。建築家の個性的な意匠で華々しく彩るようなものでもないし、あえて無個性的な表情を作ろうとするものでもありません。 しかし、その姿をじっくり見て、そして図面や細部の納め方や考え方を丁寧になぞっていくと、そこに幾つもの異なるイメージが同時に建ち現れ、それらが影響し合い、微動しながら、特異な場をそこに生み出していることに気がつきます。 幾つもの秩序や物語が多層的に重なり合って、それらが完全に一体となることなく提示されている。あるいは、ポリフォニーのように複数の声が聞こえ、揺れ動いているように見える。そしてその間から別のイメージがわきあがってくる、そんなふうにも言えるのかもしれません。 興味深く感じることは、現実のコンテクストに基づく制約であったり、実用的な理由から生じる考え方や形が、いつの間にか、ポエティックな秩序や物語へと変質していることです。そしてこのポエティックなものは、オルジャティ自身の内面へとつながっており、そこから生まれてきているようです。 外在するもの・内在するものの両面から、ひとつの建築が建ち現れるということかもしれません。これは、説明可能であり、同時に不可能でもあるということです。その意味で、周囲の環境風土やコンテクストと地続きであると同時に、そことは別の場所に建っているということもできるでしょう。 このような時代において、どのように建築を考え、そして建てていくのか。 ここに、外在性と内在性を行き来しながら、そして複数性や、複数の声を使い分けながら、建築のあり方を問いかけるヴァレリオ・オルジャティの意義があるように思うのです。 このようなあり方で生み出される建築は決して単純なものではないし、口当たり良くわかりやすいものでもないでしょう。むしろ、これを自分で受け止めて自分自身の力で感じ、想像し、それを考える人間のための建築なのかもしれません。 現地に行って空間を体験していないので推察になりますが、多分実際に建てられた彼の建築は、写真や映像で見るよりも、ずっと優しく自然な印象を与えるものかもしれません。そして建築は、そこに生きる人たちの想像力に無意識のうちに働きかけてるいるのかもしれません。そこで生きていくなかで、少しずついろいろなことに気がつき、また発見していく。そんな建築なのだろうと想像しています。 これが彼の建築であり、同時にそれを体験し経験していく”あなた”の建築である。 そんなふうに考えて良いのではないでしょうか。 故人ですがメキシコの建築家ルイス・バラガンやイタリアの建築家アルド・ロッシ、また現代ポルトガルを代表する建築家アルヴァロ・シザのことなども、一緒に思い出していたことを付け加えておきます。 (写真は全て展覧会カタログより)
by prospect-news
| 2011-12-07 15:18
| 随想
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