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透明感やためらいのなさ、その向こうにある世界とはどのようなものなのでしょうか。
横浜鶴見の地にある禅宗は曹洞宗の大本山、總持寺へ。 特に自分自身は宗教を持っているわけではないのですが、人づてに素敵な場所だと聞き、一度訪問してみたいと思っていたところ、11月末のお天気の良い日に訪れることができました。 どの建物も独特の雰囲気を持ち、ここで連綿と受け継がれていく身体的精神的な深まりが、そこかしこに空間として建ち現れている、そんな印象です。 それにしても、現在も多くの若い雲水さんたちがここで修行に励んでいるということ、それ自体に感銘を受けます。そういう空間、場が、街のど真ん中にあるのです。 總持寺に隣接して大学もあり、また広大な境内は街の一部として、自由にみんなが散歩できるようにもなっています。そしてそれらと少しずつ重なり合いながら、厳格な修行の場や時間もそこにある。そんなありかたに興味を持ちました。 一言でこの場所の印象を言うとするならば、 それは<清々しさ>というものだったと思います。 その透明感やためらいのなさ・・・。これは一体何なのでしょうか。 そしてこの<清々しさ>に、どうして私たちは惹かれるのでしょうか。そこには単純にそれで良しとはできない、ある種の問題も含まれている・・・ような気もしたのです。これは普段自分が考えている問題意識に引き寄せ、その文脈のなかでの問いなので、うまく説明出来きるわけではないのですが。 ともあれ、気持の良い散策と素晴らしい建築空間体験と共に、 なかなかに<大きな問い>をおみやげとしていただいてきた、そんな小旅行でした。 皆さんも機会があれば是非訪れてみてください。
by prospect-news
| 2016-12-13 16:22
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