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東日本大震災が起きた時、さまざまな気持ちを持ちながらも、そこでできる限りの職務を遂行した人たちへのインタビューを、先日のNHKスペシャル「語れなかったあの日 自治体職員たちの3.11」で観ました。 発災から13年を経てやっとその時のことを言葉にできるようになった、その心持ちが直に伝わってくる内容でした。被災者でありながら同時に行政としてやるべきことを抱え、その時を精一杯務めた人々の話は胸を打たれるもので、その余韻は自分の中に深く残ります。 少し前に我が家の相方から読んでみたらと勧められたのは、奥能登の珠洲市で古本LOGOSを営む川端ゆかりさんのエッセイ、webちくまの連載記事、<File 120. 「大津波警報」が出る前に、読んでいた本>と題された文章。 今年の1月1日に起きた能登半島地震で実際に体験したことや、彼女自身が今も住む場所の現状などを描きながら、同時に、それ以前から読んでいたという村上春樹の阪神・淡路大震災を題材にした短編のことや、スマトラ島沖で起きた地震による大津波をそこから遠く離れたスリランカで体験した女性の手記(言葉にするのに8年かかったという)のことが並行して書かれています。 冒頭のNHKの番組でも、東日本大震災が起きた当時、ある自治体職員は阪神・淡路大震災の際に同じような立場の人がどのような経験をしたかという手記を読み、それによってある種の冷静さや客観性を得ることができた、というようなことを話していました。 身体に直接かかわってくる今そこでまさに生じている体験と、時を経ることによって物語り伝えることができるようになった人の心情。人の生そのものと人の言葉。人は振り返った時にはじめて何かを物語ることができるということでしょうか。 昨日のこと、二か月前のこと、13年前のこと、・・・同じ出来事でもその間にある時や距離によって、見えるものや感じられるものは異なるだろうし、常に過程の状態でもあるのです。そして私たちはその価値や意味や意義が時と共に変わってゆくことも知っています。 川端さんは2007年ごろから、自身の何かが、アイディンティティーが揺さぶられ始めたと書いています。それ以来いろいろな職を経て今の古書店を開くに至ったとのこと。2007年は能登で大きな規模の地震があった年であり、その後も度々地震を経験し今回の大地震に至っているそうです。 彼女が今住んでいる場所には平安時代から人が住み続けているとあります。今は異様な様相となってしまっているかもしれないけれど 遠い昔からそこで人が生き続けてきた、そんな大きなスケールの風景の中で彼女は自分の古書店をどのように位置付けているのでしょうか。 『神の子どもたちはみな踊る』(村上春樹/新潮文庫)、寝る前に読むナイトキャップ、要するに寝酒の代用。短編集なので寝落ちするのにちょうどよい、何度も読んでいるのであらすじを読むというよりは文章内に仕込まれたある言葉(トリガーのようなもの)を探してその個所を何度も何度もなぞる。 webちくま<File 120. 「大津波警報」が出る前に、読んでいた本>川端 ゆかり 2024年2月28日更新 より 掲載されている文章の冒頭部分からの引用。「言葉を探して」「何度も何度もなぞる」というフレーズが印象深い。 目の前のひりひりするような不条理や現実に身体を晒し、そこへの善処を繰り返しながら、同時に、かつて誰かによって記され残された言葉をとおして、己を少し離れた位置から眺めてみたり、大きな風景の一部として捉えてみる。そんな人のありかたのための場所、あるいはそのきっかけが古本LOGOSなのかもしれない、と想像してみたり。 写真は、早春の近所の海辺にて。 午前中のあまり高くない日の光が波に白く反射していています。 その日は本当に穏やかな海でした。 #
by prospect-news
| 2024-03-14 16:11
| 随想
春に向かっていろいろ準備中のようです。 このあたりを訪れるとやはり風景っていいなと思うのです。 いろいろな人たちや、その活動や、野菜や植物や、そのための小屋や建物や、地形や地歴を思い起こさせる起伏や、そして風や空や海や・・・。そういうった諸々の要素がそれぞれにあって、それらはシンクロしていたりいなかったり。よく見ればとても複雑な関係性があるのだけれど、そんなこともどこ吹くようで、そんなあり方が好きなのです。 自分自身はもうその一部になっていて、風景に溶け込んでいるつもりになっているのかもしれません。 そんな理由もあり、景観という言葉に抵抗があります。景観といった途端に視点や見方が固定されて、ある目的のために対象をコントロールしようとしているように感じるのです。 もしかしたら、前回の記事に書いたアルヴァロ・シザの「マルコ・ドゥ・カナヴェーゼスの教会」の建築も風景と言い直すこともできるのかもしれません。 となると、私自身は建築と風景を(ある側面では)あまり区別していないことになるのかな。私たちが設計した家を「まちかど」や「路地」と呼んでいるのもそういう理由なのでしょう。 暖かい日と冷え込む日があと少し続けば・・・、 待ち遠しいですね。 能登の人たちのもとにも穏やかな春が訪れますように。 #
by prospect-news
| 2024-03-04 13:58
| 風景
前回に引き続き、古いショートレクチャーの資料から。 2. アルヴァロ・シザの「マルコ・ドゥ・カナヴェーゼスの教会」 それがそのようにあるから、 またそのようにあるであろうから、 あるいはそのようにあってほしいから、 価値がある。 たぶんそうでないこともたくさんあるのだろうが、 しかし決して関係なくはないのだ。 ・・・中略・・・ 場所には、人がひとりもいないということは決してない。 そこには必ず誰か住む人がいる。 p28「建築に関する8つのこと」より ( 上画像:同上 p44より ) あらためてこの文章を読んでいて、建築は動かないものなのだ、ということに妙に納得してしまったことを思い出した。 そのビデオはこの「マルコ・ドゥ・カナヴェーゼスの教会」についてのもの。上の写真とおよそ同じ構図で、そこに固定されたビデオカメラは、ある礼拝の日、誰もいないこの教会堂に、人々がそれぞれにやってきて、席に着き、話を聴き、歌い、また立ち上がり、室内から出てゆき、そこには誰もいなくなり、再び静寂に満たされてゆく、そんな様子を淡々と撮っていた。 その間、光と影はゆっくりと壁を移ってゆく。しかし建築自身は動かない。 そうか、建築は動かないんだと、おかしな話だけどびっくりしたのだ。 彼のテキストに戻れば、“たぶんそうでないこともたくさんあるのだろうが、しかし決して関係なくはないのだ。”という部分に、今は注意を引かれている。 この教会堂でいえば、様々な人や思いや感情や・・・季節や時間というものがその中に入ってきては出てゆく。この教会堂はずっとそこに建ち続け、それらを受容する。シザが書いているように、受容されるものは決して単純ではないだろうし、相反するものもあるかもしれない。しかしこの教会堂に様々なものが関係づけられていくうちに、そこに何がしかの秩序が育まれてゆく。だから人々が帰った後の静寂も寂しいものではない。 ひとことで表されるような明快さはないかもしれないけれど、複雑な余韻や息遣い、感情を伴った生命体のようなものが、この動かない建築に宿っているのかもしれないし、もしかしたらそれが建築そのものなのかもしれない。 アルヴァロ・シザの建築の魅力はそこにあると、私には思えるのだ。 #
by prospect-news
| 2024-02-24 09:14
| 風景
その中からいくつかをこのブログにも記録していきたい。 1. 田窪恭治の「林檎の礼拝堂」 ・・・中略・・・ しかしいま初めて、この瞬間、私は私の立っている場所といちいの樹の間の透明な空気を、しっかり感じ取ることができたのです。私が長い間求めていた答えが、やっと出ました。 内と外という概念は、もうすでにここにはありません。 木も花も小川も、牛や馬や麦畑や林檎畑も、人も建物もすべてが透き通って見える光の中に存在しています。 ・・・中略・・・ ここノルマンディーに住んで足掛け10年、私は礼拝堂に通い続けてやっと、透明な空気や吹く風の音の中に、ものの本質を決定するイメージが存在するのだという答えを、導き出したのです。 本文p131より(上画像:本文p10-11より) このテキストを改めて読み、最後のフレーズにある「ものの本質を決定するイメージが存在する」という言葉に少し驚く。 イメージ(心の中に思いうかべる姿・像。心象。グーグル日本語辞書による)とは固定されるものではない、と自分は考える。彼はイメージのなかに本質があるという。 となると、本質とはひとことで言い切れるような何かではなく、曖昧な輪郭や動きや時間を持ちながらも同時にある特定のものを示す何か、と理解してよいのだろうか。 この礼拝堂の再生も様々な視点や立場から語ることができるのだろうし、それらのいずれもが真実であるだろう。しかしそのうちのどれかを取り出してこの礼拝堂再生の本質だということは難しい。それらの総体を、そして過去・現在・未来の姿を含めたものをみてゆく必要があるのだろう。 本質というのは体得することで得られるもの、と考えることもできるかもしれない。そうであるとすれば、彼自身が時間をかけてノルマンディーの風景の一部になったとき、答えが得られたということの筋が通る。内と外という概念もなくなったというのも同じニュアンスなのだろう。 それでも、こちら側と向こう側という概念はまだそこにある。それはこの戸口に現れ出でている。あるいは彼自身がこの戸口になったのか。いつかこんな魅力的な開口部/閾をつくってみたい、そんなふうに自分は思うのだ。 #
by prospect-news
| 2024-02-17 09:39
| 風景
能登での地震から三週間。TVや新聞で伝えられていること以外にも、我が家の相方のSNS経由でさまざまな人たちのそれぞれの実情や思いを知る毎日。その一方、この状況に対して建築設計に関わる者として考えなければならないこともある。のっぴきならぬ目の前のこと、俯瞰して見えてくること、そしてその間に広がるもの、それらは置かれた状況や立場によって、そして一人ひとり異なるのだろう。 を先日読んだ。 投瓶通信、投じられたメッセージを拾って読む者は、それを自分に宛てて送られた言葉として発見し、再び新たな広がりや文脈の中に放つことができる。可能性や想像力を受け入れにくい不確定なものとして捉える、そんな硬直した昨今の状況に投げ入れられた、爽やかで風のような本だった。 その中で特に、<庭付きの言葉>という章に惹かれた。 「とてもよいですね、けれどそこに庭は?」 二十世紀フランスの哲学者ポール・リクールが、弟子であるジャン=リュック・ナンシーが初出版した著書を読んで本人に告げた言葉だという。 著者はフランスの庭師ジル・クレマンの著書「動いている庭」を参照しながら、この言葉の持つ広がりを考えている。以下はクレマンの本から引用された部分。 時間にゆだねることは、風景にチャンスを与えることだ。それは人間の跡を残しながらも、人間から解放されてもいるような風景を生み出すチャンスである。 (本文 p26より) 「庭」とは、ある目的のために構築された何かの一部でありながら、同時にその何かに影響や変化を与える可能性を持つことができる余地、ということもできるだろう。著者は「ゆだねる」という関わり方について考えている。そのような余地に何かのありようを変える力が芽吹き、それにゆだねることができるなら、その何かは思いがけないありさまへ時間をかけて開かれ変わってゆく可能性があり、それこそが大切であるということなのかもしれない。 「庭」といえば、ずいぶん前に読んだフランシス・バーネットの短いエッセイ「庭にて」も印象に残っている。(そのことについて書いた記事) そこに「庭を持っているひとには未来があります。未来がある限り、ひとは本当の意味で生きているのです。」という言葉があったけれど、これも<庭付きの言葉>で語られていることに近いのかもしれない。 今まさに危機的状況にあるものごとや人々に、いや自分自身も当事者の一人として、「庭」を持つことができるなら、希望は必ずあると思いたい。そんなことをこの本を読みながら思っていた。 以下、「誰でもよいあなた」へ 投壜通信 から備忘録として。 人間が庭に流れる時間をすべて支配し、そこに生きるものを管理するのではなく、別のところから風に乗って運ばれてきたり、鳥の糞のなかに入ってきたりした種が、偶然そこで芽吹くような余白をつねに残しておくのが「ゆだねる」という時間のあり方にほかならない。しかし、注意する必要があるのは、人間がまったく何もしないわけではないということだ。「人間の跡を残しながら」と言われている以上、庭師はまったく庭に働きかけないのではない。にもかかわらず、庭という場の生成変化が人間の制御を超えてしまうということ。これこそクレマンが描き出している事態である。 (中略) 庭を欠いた言葉とは、予期せぬ他者の到来を待っていない言葉だろう。 (中略) 庭のない凝り固まった言葉は、窓を閉ざした部屋のように、新たな風が吹き込むことがない。 (中略) 庭のない言葉は、結局のところ誰にとっても同じ意味を持つものでしかなく、ほかならぬ私に宛てられたという思い込みを誘発するような余地を欠いている。 (中略) すぐには意味が理解できないにもかかわらず記憶の襞に引っかかり、忘れたと思ったころにふと思い出してしまうような言葉には、つねに謎めいたところがある。まさにその謎こそが「誰でもよいあなた」を招き入れる場であり、新たな芽が生えてくる庭である。 (本文 p27-p28より) 写真は私たちが設計・監理した深沢の家から。 都内の狭小旗竿地に立つ住宅において、厳しい敷地条件に丁寧に対応して計画を解いていった結果、まさに「庭」と呼べるような余地が現れた。斜線制限や日影規制に対応するために導入された斜めの壁やそれに応答する中でできたベンチ、構造力学的要請によって設けられた床などが、この家での暮らしを生き生きとさせる要素として捉えなおされている。 #
by prospect-news
| 2024-01-22 16:09
| 読書
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