Notes
記事ランキング
カテゴリ
タグ
検索
|
簡単に説明できるものは、もはや、おもしろくもなんともない、 と浜野安宏は書いた。 そんなこと思いながら我が家の書棚をみていたら一冊の本に目が留まった。浜野安宏さんが随分前に書かれた「人があそぶ」1984・講談社である。そこに収録されている「あいまい領域の時代」と題された短いエッセイは、今読んでも興味深いし、納得感もある。 浜野さんは、人間が生まれ持った特技として「あそび」や「あいまい領域」を持つことをあげ、それこそが人間のアイデンティティだという。そしてこれを排除し正確さを追及すればするほど悲劇が拡大されるという。また、この「あそび」や「あいまい領域」の特性を言い換えれば、既存のあるいは忘れ去られていたような価値を新しい視点から創造的にとらえ直すことでもあるといい、以下のように続ける。 “ 価値を固定して、変わらないものとしないで、本来の価値をはぎとって、まったく新しい価値を与えてしまう作業は、人間の「あいまい性」のなせるわざである。 常識や機械の持っている虚構のフォーカスに意図的にボカシ、ズラスこと、その中からまったく新しい世界を創りだすことが、おもしろいのである。簡単に説明できるものは、もはや、おもしろくもなんともない。 (中略) 「らしく」するというのはあきらかに近代の目的合理主義から来ているわけであって、もっとうるさそうにいえば階級社会的なにおいがする。 アイデンティティというのは自分が明確に持っていればいいのであって、それをみせびらかしたってなんにもおもしろくないから、アイデンティティがしっかりしてくればくるほど、およそチグハグな外観や言動であそんだほうがずっとおもしろいのである。 ” (本文p78-79より) ここで浜野さんが使う「あいまい性」とは、ぼんやりとした輪郭という意味ではなく、二つ以上の意味が一つのものごとにあったり(多義性)、それが時に矛盾を伴いながらも、文脈によって積極的に現れたり消えたり・・・(相対性)というような考え方であり、同時に詩的な言葉なのだと思う。 しかし浜野さんのエッセイで大切なことは、その最後の文章にあるのではないだろうか。「あいまい性」を纏うには、纏うもののアイデンティティが確立している必要があるということ。そうあることで「あいまい性」に、しっかりとした奥行きと豊かさが生じることが可能になる、そういうことなのかなと思う。 せっかくなので、この本のあとがきからもう少し写し書き。 “ プロセスを楽しむのがまどろっこしいのではなく、プロセスの楽しみ方など初めから知らない人間が増大しているのである。 ” (あとがき p336より) 1984年の文章ではあるけれど、今この時点においても力強い批評性を持った、勇気付けられる言葉がそこにあります。とても興味深い本だと思うので、どこか図書館などで見かけたら是非読んでみてください。
by prospect-news
| 2017-07-25 11:13
| 読書
|
ファン申請 |
||