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生きること、抗うこと、切り開いていくことを真摯に生きた人。 静岡三島の近く、クレマチスの丘と名付けられた美術館群にふと思い立って行って来ました。とあるワークショップがそこであることを知り、参加は出来なくてもどんなことをしているのかみてみたい、そんな気持ちからです。 このうえなく澄み渡った秋空、静かで穏やかな雰囲気、親密で心地良い屋外空間。お昼は円形劇場のような広場のベンチでのんびりと。他にも家族連れや老齢の親とその子供など、思い思いの秋の一日を過ごしているようでした。 三年ほど前の夏にも三島まで来たことがありました。大学で担当していた卒業研究の学生二人とうちの相方と四人で、沼津に完成した長谷川逸子さんの建物の見学会に参加し、その後三島近郊の、今や伝説ともいえる菊竹清訓のパサディナハイツを訪れました。そんないきさつがあったので、皆で帰りに立ち寄った三島駅近くのトンカツ屋のことなどを思い出していました。そのときの記録 その日の夜、一緒に行った学生のうちのひとりSが逝ったことを知りました。 Sは2014年度の卒業研究提出まであと少しというところで、自分が大きな病気に冒されている、そしてそれは命をも奪う可能性がある、そんな認識に突然向かい合うことになりました。彼から電話でその報告を受けたときのことは忘れることはありません。 卒業研究は途中二度の長期中断を余儀なくされました。深刻な状況とゆるやかな回復の繰り返し。寝ていると自分のからだが、その輪郭が薄くなくなっていく、布団のなかに少しずつ沈んでいく。それに必死に抗う。その繰り返しだとSは訴えます。 2016年度の春から夏にかけて、Sはプロジェクトを建て直し、彼にしか語れないメッセージとして、人の心を動かすことの出来る「建築」の物語を完成させました。 Sが晒されている病との闘い、死への恐怖、そして彼の生を諦めない気持ちを前にして、私は何が出来るのか。「建築」をSと共に考えること、結局のところそれしか自分に出来ることはありませんでした。私自身が信じている「建築」が少なくとも彼の支えになる、そうでなければならない、なんとしても彼を「建築」に向かわせるしかない、そう信じていました。 今改めてSが撮った写真や描いたスケッチ、そして書き残した言葉を俯瞰すれば、彼はまっすぐ道を歩きたかった。切り開いていきたかった。そう言っているように思えます。常に目の前には一本の道筋があります。それなのに彼は気遣いの人であり、周りを大切にする人でした。時には自分のことよりも周りを優先しているようにも見えました。 しかしSは卒業研究の概要書で “今自分自身が必要としている場としての建築をつくる。一人の人間が自身の「輪郭」を再び獲得していくための場、空間、建築であり、同時にこれは今ある、とらえどころのない、忘れかけられつつある場を「横切る」こと、「切り開いていく」ことでもある。” と強く宣言します。ひとりの人間として、強い「意志」としての「建築」の必要を訴えるに至ったのです。 Sは途中であきらめることなく、卒業研究「生きること、向き合うこと ―武蔵小杉の輪郭の再形成-」を完成させました。私はSが卒業研究をやり遂げたこと、そして彼が大きく深化したことを誇りに思います。 生きること、抗うこと、そして「建築」と「意志」に真正面から向き合った君を忘れることはない。 哀悼と感謝の意をここに記します。 *写真はクレマチスの丘、上はヴァンジ彫刻庭園美術館アプローチ、下はベルナール・ビュッフェ美術館前円形劇場にて、2017年11月3日撮影
by prospect-news
| 2017-11-05 22:11
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