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純粋な建築のイメージが、いつかどこかでみた風景のなかを私たちと共に進んでゆく
(上のイメージはGoogle Street Viewから) 以前の建物の輪郭に相当する壁面のなかに大きな開口部があります。この開口部は引戸で閉じることができるようです。その向こうに楕円形のシルエットの一部が二つみえますが、一方は中庭の屋根の開口部(中庭を取り囲む壁面を支える構造も兼ねている)であり、もう一方は、室内との境に設けられた大きな窓のガラスへの映りこみです。 建物の説明としてはそういう具合になるのだけれど、そんな構成上の手際のよさとは別に、なぜか惹きつけられる別の魅力もそこにある。そんな気がします。 言葉にした途端になくなってしまいそうですが、しかしあえて言うならば、そこには文脈から切り離された、ただ純粋な建築のイメージがある。そう考えてみたいと思っています。 そしてそのイメージは、文脈や合理性といったものと夢や物語とのあいだの謎めいた風景のなかに、あなたを連れ出してくれる。そんなふうに感じているのです。 かたちと色あい、質感、内部と外部、光と影の具合・・・、それらはいつの間にか合理的な建物の一部であることを忘れていきます。そして解釈や説明を拒む名付け得られない純粋な建築のイメージが、いつかどこかでみた風景のなかを私たちと共に進んでゆくのです。そこでは一切が一体となって体験され、あなたはイメージになりイメージはあなた自身になっていきます。 しかし一歩後ろにさがってみれば、再び解釈の世界に、さらにそのシルエットや奥行きや周囲との関係に気がつきます。 この前後に動く働き、建物としての成り立ちと純粋な建築のイメージのあいだを行き来すること、これを引き起こすことができる力こそが、建築としてのかけがえのない魅力、私たちを惹きつけるものなのかもしれません。 ちょうど6年前に「ポリフォニーのように」というタイトルで、このブログにオルジャルティーの建築について書いたことがありました。
この時の認識は間違っていなっかたと思います。 さらに今は、建築を受け取り受け入れるときも、建築を理解する場合でも同じなのかなと考えています。
by prospect-news
| 2017-12-03 15:29
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