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庭園であることを生き続けている場所、そんな公園を訪れてきました。
冒頭に馬の博物館学芸員のレクチャーがあり、この場所が、江戸時代末期から明治にかけての、鎖国から開国につながる歴史に端を発し、いかに競馬という文化が特権的なものだったのか、またそれ故に日本の近代化において重要な政治的役割を担ったのかなど、興味深い話を聞くことができました。またシティーガイドの方からも、現在のこの地の状況について、さまざまな話を聞きました。根岸競馬場一等馬見所と根岸森林公園の周囲には、現在でも在日米軍関係の難しい問題が残っていて、気持ちの良い公園として皆が訪れる今も、複雑な政治空間の絡まりの一部でもあるようです。 そんな物語を聞いたからかもしれませんが、私にとって強く印象に残ったことは、空をのぞくここに見えているすべては人がつくったものであり、その庭園だということなのです。森も林も土地の起伏も近代化産業遺産も、そしてかつてこの場所で繰り広げられ、今も継続されているさまざまな出来事(歴史)も、何もかもが人が意図を持ってつくってきたものであり、それらの交錯によってこの庭園は構成されているのです。古今東西、人は庭園を一種の理想郷か、あるいは権力構造や社会構造を可視化するものとして、つくりあげてきたといえるかもしれません。そういう意味でこの場所は公園と呼ばれながらも、良くも悪しくも庭園であることを生き続けているのだなと、感慨深いものがありました。 つまり、すでにそこにあった庭園のなかにもうひとつの庭園を、個人のための庭園を入れ子構造のように投入したのです。比喩的にいえば、それは元々そこに存在している庭園を横切る切断線のように働き、この庭園を彷徨うひとりひとりと幕末から続くさまざまな歴史との交錯線をつくりだそうとしたのかもしれません。重要なことは、その線がけっして公共的なものなのではなく、それぞれの人によって引き直される、そんな線になると良いなと考えたことだったように記憶しています。 そして当時私は、この庭園には輪郭や境界というものがはっきりあると認識していたように思います。しかし今あらためてこのことを考えてみると、仮の輪郭は描けるとしても、果たしてそれは境界なんだろうかという疑問も感じます。むしろ際限なく広がり深まっていくものに対して、幾つもある切り口のひとつとして輪郭があり、それは言い換えるならば、ある種の基準線のようなものでしかない、そう思うのです。 ともあれ、根岸競馬場があった場所が公園として公共に提供され、近代化産業遺産として根岸競馬場一等馬見所が残されていることは素晴らしいことだと思います。そしてこれからも大切に維持され続けていくことを願うのです。
by prospect-news
| 2018-05-20 18:37
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