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響きあう時間のこと。 各々がそれぞれに存在しながらもお互いに影響を及ぼしあう、 そんな時間がありました。 水戸芸術館現代美術ギャラリー「内藤 礼―明るい地上には あなたの姿が見える」へ行ってきました。随分久しぶりの水戸芸術館訪問です。 自然光だけで作品空間を体験すること。それが今回の水戸芸術館現代美術ギャラリーで実現されています。建築家にとって、自然光による空間を想像するのは、建築のひとつの原型をつくりだす作業でもあります。そしてそれを何かの拍子に工事中の現場で感じることがあります。目に見えるときもあるし、見えないけれど肌で感じる、そんなときもあります。それは時に竣工した建築物以上に迫力と生命力を持っているのです。 そういう意味で私にとって、水戸芸術館で内藤礼の作品空間を体験することは、同時に、この建築の設計者である磯崎新が思い描いた空間の原型を実感することでもありました。 明るい-暗い、大きい-小さい、高い-低い、広い-狭い、遠い-近い、正方形-長方形、切妻-四角錘、対称-非対称、軸線・・・等々、建築家はこれらの初源的な建築言語を組み合わせる秩序をつくり、それをたどる順序を思い描くことによって、そこでの空間体験を構想します。 初源的な建築言語がつくる空間をめぐることは、建築体験のはじまりだといえるでしょう。しかし、空間の手がかりがあまりにも直接的で単純なために、そして幾何学的な形と光のみという抽象的なものであるが故に、そこには何も無いと感じる人も多いかもしれません。本当はそこには何があるのでしょうか。 内藤礼の作品空間は、刻々と移り変わる自然光だけの状態で、天候によって全く異なる表情をみせる明るい場所とほの暗い場所で、光の変化と共にある空間を体験する人に、今そこに生まれ、そして過ぎ去っていくおぼろげな瞬間を現実のものだと実感させ、それを愛しむ気持ちへと自らが向かっていることに、自分自身を気付かせる働きを持っている、そんなふうに私は感じました。 内藤礼が空間の中に注意深く配した繊細なもの、あるいはかすかな揺れ、そして彼女の思考の痕跡は、磯崎新が構想した空間を残しながら、そこにわずかな解釈を加え、重ね合わせるようにして、別の物語や風景や気配をそこに浮かび上がらせます。その重なり合いに私たちが気付いたとき、空間はそこにそのままでありながら、もはやそのままではなくなっていた。少なくとも私にはそのどちらも見えたし、感じることができたのです。 訪れたあの日、その空間は静かな喜びと慈愛に満ちていました。何かを声高に語りかけてくるわけでもなく、神秘的な啓示を与えようとするものでもありません。そこには幾つかの異なる時間があり、私たち自身をとおして時間が重なり合い奥行きを生み、そこにまた別の時間が生成されていました。 作品空間には、磯崎新がつくる初源的な建築秩序の時間があり、内藤礼がつくる気配の時間がありました。一方を見つめれば他方は遠のきます。気がつけば、私たちはそこに自分自身を介入させているのです。つまりそこにあるものは、それぞれが独立して存在しながらも相互に影響を及ぼしあう、そんな時間なのです。 私はこの様子を響きあいと言い表したいと思います。 そして自分自身をも含みこんだ響きあいをその場で感じながら、同時に、少しだけ離れたところから、これを美しいと感じていたのです。 このようなことは、ことさら特別なことではなく、私たちの普段の暮らしのなかにも、よく目を凝らせば、静かにそこで耳を澄ませば、感じることができることかもしれません。それに気付くこと、それこそがあの作品空間のメッセージなのでないでしょうか。そんな思いが水戸芸術館を訪れた後、徐々に強くなってきているのです。
by prospect-news
| 2018-09-02 06:24
| 随想
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