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余白があれば、そこに。 ある方から試してみてと頂いた能登仁行和紙を我が家の玄関の壁に。 イサムノグチの照明や仙台箪笥と上手くマッチしている様子はなかなか素敵。だけどこれをどう考えればよいのか。 背景になっているニュートラルな白い壁があることで、個性的な物語を持つ素材や製作物の間にバランスがうまれているようにも思う。 この白い壁自体がもっと強い素材感や表情や意志を持っていたら、それはまた違った印象になるのかもしれない。 少なくとも私自身は、自然素材や手仕事を至上と考える暮らしをしているわけでもなく、それが現代を生きる人々すべてに可能だとも思っていない。そういった考え方やものや素材や在り方に理解と敬意を表しつつながらも、自分自身との間の距離を測っている、という感じだろうか。 下のイメージは同じく我が家の畳部屋で、こちらは自然光に満たされる空間。 ピンナップされた和紙がゆったり浮かんでいるようでなんだか楽しげ。 これが壁一面にきっちり貼り込まれるとまた印象は違うはず。 もしかしたこの「余白」が重要なのかなとも思う。ニュートラルな「余白」があれば、そこに自分自身を入り込ませることができる。 「余白」、「あいだ」とも「間」とも「行間」とも様々に言い表されてきたもの、これを「空間」と言い換えることもできるのかもしれないけれど、その重要さを改めて再認識させてくれた一片の紙の話。
by prospect-news
| 2019-06-08 09:26
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