Notes
記事ランキング
カテゴリ
タグ
検索
|
建築そのもの、その肖像 HÉLÈNE BINETによる写真 聖コロンバ教会ケルン大司教区美術館 よりあまりにも魅力的な気配がそこにある。 そこに吸い込まれていくように、自分自身がそこにある何かと一体となっていく。客観的に対象としてとらえるという感じではなくて、そこにあるものと不可分になっていく、そんな感覚である。 彼女がこのシーンを露光/露出させた時、 本当にこの気配がそこにあったのだろうか。 それともこれは彼女をとおして現前した何者かなのだろうか。 これは実際に建っているものとは異なる存在だと思う。 それは純粋な建築そのものの肖像といえるのかもしれない。 建築物はよく言えば多様性を体現している存在である。 あるいは土地・風土・思惑・予算・法規・社会・構造・工法・・・あげればきりがないほどの要素が複雑に絡まりあいながら、そのなかでかろうじてバランスをとって成立している不純な構成物ともいえる。 それ故にその建築物の本性が何かをとらえることは本当に難しいし、建築物それ自体が自らの本性を認識しているかどうか怪しい場合も少なくない。本性と呼べるものを持たない建築物だってたくさんあるだろう。 そして建築物を構想し設計し建設を進める設計者や当事者たちは、いつの間にかそれが別のものになっていくという現実に毎回向き合っている。 だから例えば磯崎新は、還元シリーズと呼ばれる単純化された形態と黒々とした影によるシルクスクリーンや膨大な量のステートメントを残してきた。 そういう意味で、彼女がカメラと現像をとおして浮かび上がらせたものは、建築の本性そのものであり、建築の肖像なのだ、と私は思う。 そしてそれが再び建築になることが叶うとしても、それはあなた自身のなかにしか現れないだろう。あなた自身の建築として・・・。 ヘレン(と呼んでいたような気がする)とは、ロンドンのAAスクールで学んでいたころ、友人が属していたユニットの教師ラウル・ブンショーテンのガールフレンドとして紹介され、立ち話もしたことがあった。クレイジーだけど気さくでフレンドリーで素敵なひとたちだった。 そんなことを思い出す雨の日曜日である。
by prospect-news
| 2019-07-14 22:11
| 随想
|
ファン申請 |
||