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kaiseki
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1 かたちあるものも、そこに近づいてみれば、 境目のはっきりしない流れ、のようなものなのかもしれません。 空を見上げれば、さまざまな表情の雲。月も見えています。 風をうけて、光のなかで、皆それぞれの由来があるなかで、 刻々と姿をかえながら流れていきます。 ここからみれば皆それぞれのかたちを持ってはいるのだけれど、雲のなかを飛ぶ飛行機の窓からのぞくように近づいてみれば、境目のはっきりしない、どれもきっと水蒸気のかたまりなのでしょう。 あらためて考えてみるとなんだか不思議ですよね。 遠くからどこかのお寺の鐘の音が聞こえてきます。 そんなお彼岸の中日、秋分の日の朝です。 ▲
by prospect-news
| 2018-09-23 09:53
| 風景
空港という空間の自由と希望、そこに向けられた穏やかな眼差しについて。 ![]() 温又柔(おん ゆうじゅう)さんの 「空港時光」という本を新聞の紹介記事で知りました。 空港時光とは、空港の時間と空間という意味なのでしょうか。 納められているのは、短編集「空港時光」とエッセイ「音の彼方へ」。 日本と台湾の両方に生きる著者の、多層的で複雑な深さ、そしてひとことでは言い表せないようなややこしさ、それらに向き合う穏やかで静かな眼差しがそこにはあるようです。国籍やそれぞれの文化、どちらかを選ぶのではなく、そのどちらもが同時に自分の内にある。そのような視点を得ることによって広がる世界が描かれているように感じました。 短編集「空港時光」は、「出発」からはじまり「到着」にいたるあいだに8編のエピソードが挟まれて合計10編、それぞれが独立した物語でありながら、その全体もひとつの風景であるようです。さまざまな人、立場、関係、国籍、時間、過去、未来、思いが、日本と台湾のあいだで行き交います。これらの物語すべてが、ふと目をやるとそこにあるようで、そのなかのひとつを自分が生きているようにも思えてきます。 エッセイ「音の彼方へ」では、彼女が日本人の友人や台湾人の知人と一緒に台湾を旅をして、そこで感じたことや思ったことが綴られています。 本のつくりも興味深いものになっています。「空港時光」の部分は黄みがかった紙に、それに続く「音の彼方へ」は白い紙に印刷され、それで一冊の本になっています。黄みがかった紙のなかで物語は輻輳し交じりあっていきます。一方白い紙のほうでは、ものごとは時系列的に進行します。そして一冊の本としてこの二つが綴じられているのです。 「音の彼方へ」では自分自身を俯瞰的に分析的に眺めているのでしょうか。その視点があることで、「空港時光」の物語群がある種の秩序を得ているように思いました。 あるいはこんな言い方もできるのかもしれません。 アイデンティティや物語は、外から照らされたときにはじめて現れ意識できるようになる。光の角度や強さ種類によって、見えてくるもの現れてくるものは異なる。それを描写しているのが「空港時光」であり、「音の彼方へ」は、そこに光をあてる役割を担っているのです。 ともすればシリアスになってしまいそうな内容ですが、温さんの文章は穏やかでどこか楽しげで、難しい主題であることを忘れてリラックスして読み進めることができました。こういう雰囲気はとても大切だと思います。 空港、そして出国と入国のあいだの曖昧で特殊な時間と空間については、私自身もさまざまな経験や思いを持っています。また空港についての記憶に残る文章として、多木浩二さんの著書「都市の政治学」におさめられている「エアポートの経験」を思い出します。語り方は違うけれど、私には温又柔さんが書き留め明らかにしようとしていることに近い印象を持っています。 空港を経由する旅は、都市から、いわば政治的、歴史的基盤を取り除く経験ではないか。想像的意識の中では、国家よりも上に、いくつかの都市が集合した状態を世界として知覚しはじめる感受性が育ちつつあるのは、こうしたエアポートの経験のせいではないのか。 いまや都市はその自立性以上に、世界化の力に動かされているが、その力が端的に表現できているのはエアポートのゼロの空間にほかならないのである。(「都市の政治学」多木浩二著、エアポートの経験、p174-p175より) 多木浩二さんの「政治的、歴史的基盤を取り除く経験」という言葉については、私自身は、政治的、歴史的基盤を背後に持ちつつもそれを一旦留保して、というニュアンスにとりたいと思っています。けっして簡単なことではないのですが、それでも空港の時間と空間には「自由」や「希望」があるように私自身は感じています。 よかったら「空港時光」を読んでみてください。 それでは。 以下、エッセイ「音の彼方へ」の最後の部分を備忘録として抜書きします。 ▲
by prospect-news
| 2018-09-18 08:59
| 読書
そこにあったものが、一瞬にしてかたちを変える、そんな日々に向き合って。 ![]() 気がつけば、あの狂ったように暑かった夏が終わり、どことなく秋の気配を感じるこの頃です。先日は北海道で大きな地震がありました。なんだか毎週のようにどこかで自然災害や気象異常が起こっているような気がします。そこにあったものが、一瞬にしてかたちを変える。あたりまえだと思っていたものが、次の瞬間にはまったく別のものになってしまっている。そんな事態を繰り返し見せられ、その度にやるせなさを感じていたここ数ヶ月でした。 まわりを見渡して、いろんなところで違和感を感じるなあと思いつつ、ふと目にした新聞の本の紹介欄で、温又柔さんの「空港時光」という本に出会いました。複雑なものをそのまま受けとめ、それを少し離れた視点から描くこと。読んでいてなぜか気持ちが落ち着くのです。この本についてはまた今度ゆっくり書いてみたいと思っています。 写真は先週の日曜日、近所の野比海岸にて。 東京湾をゆくのはCOSCOのコンテナ船。 手前の浜辺にはひとり波の寄せ返しに向かう人。 ▲
by prospect-news
| 2018-09-10 09:36
| 風景
響きあう時間のこと。 各々がそれぞれに存在しながらもお互いに影響を及ぼしあう、 そんな時間がありました。 水戸芸術館現代美術ギャラリー「内藤 礼―明るい地上には あなたの姿が見える」へ行ってきました。随分久しぶりの水戸芸術館訪問です。 自然光だけで作品空間を体験すること。それが今回の水戸芸術館現代美術ギャラリーで実現されています。建築家にとって、自然光による空間を想像するのは、建築のひとつの原型をつくりだす作業でもあります。そしてそれを何かの拍子に工事中の現場で感じることがあります。目に見えるときもあるし、見えないけれど肌で感じる、そんなときもあります。それは時に竣工した建築物以上に迫力と生命力を持っているのです。 そういう意味で私にとって、水戸芸術館で内藤礼の作品空間を体験することは、同時に、この建築の設計者である磯崎新が思い描いた空間の原型を実感することでもありました。 明るい-暗い、大きい-小さい、高い-低い、広い-狭い、遠い-近い、正方形-長方形、切妻-四角錘、対称-非対称、軸線・・・等々、建築家はこれらの初源的な建築言語を組み合わせる秩序をつくり、それをたどる順序を思い描くことによって、そこでの空間体験を構想します。 初源的な建築言語がつくる空間をめぐることは、建築体験のはじまりだといえるでしょう。しかし、空間の手がかりがあまりにも直接的で単純なために、そして幾何学的な形と光のみという抽象的なものであるが故に、そこには何も無いと感じる人も多いかもしれません。本当はそこには何があるのでしょうか。 内藤礼の作品空間は、刻々と移り変わる自然光だけの状態で、天候によって全く異なる表情をみせる明るい場所とほの暗い場所で、光の変化と共にある空間を体験する人に、今そこに生まれ、そして過ぎ去っていくおぼろげな瞬間を現実のものだと実感させ、それを愛しむ気持ちへと自らが向かっていることに、自分自身を気付かせる働きを持っている、そんなふうに私は感じました。 内藤礼が空間の中に注意深く配した繊細なもの、あるいはかすかな揺れ、そして彼女の思考の痕跡は、磯崎新が構想した空間を残しながら、そこにわずかな解釈を加え、重ね合わせるようにして、別の物語や風景や気配をそこに浮かび上がらせます。その重なり合いに私たちが気付いたとき、空間はそこにそのままでありながら、もはやそのままではなくなっていた。少なくとも私にはそのどちらも見えたし、感じることができたのです。 訪れたあの日、その空間は静かな喜びと慈愛に満ちていました。何かを声高に語りかけてくるわけでもなく、神秘的な啓示を与えようとするものでもありません。そこには幾つかの異なる時間があり、私たち自身をとおして時間が重なり合い奥行きを生み、そこにまた別の時間が生成されていました。 作品空間には、磯崎新がつくる初源的な建築秩序の時間があり、内藤礼がつくる気配の時間がありました。一方を見つめれば他方は遠のきます。気がつけば、私たちはそこに自分自身を介入させているのです。つまりそこにあるものは、それぞれが独立して存在しながらも相互に影響を及ぼしあう、そんな時間なのです。 私はこの様子を響きあいと言い表したいと思います。 そして自分自身をも含みこんだ響きあいをその場で感じながら、同時に、少しだけ離れたところから、これを美しいと感じていたのです。 このようなことは、ことさら特別なことではなく、私たちの普段の暮らしのなかにも、よく目を凝らせば、静かにそこで耳を澄ませば、感じることができることかもしれません。それに気付くこと、それこそがあの作品空間のメッセージなのでないでしょうか。そんな思いが水戸芸術館を訪れた後、徐々に強くなってきているのです。 ▲
by prospect-news
| 2018-09-02 06:24
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