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異なる時間を生きるもの同士が、ふと、隣り合った秋の午後の風景です。 ふと、ぽっかりと時間ができたある秋の日の午後、近所のショッピングセンターのほとんど誰もいないフードコートでソフトクリームを食べながら窓の外に目をやると、小さな造船所がありました。 どうやらタグボートを建造しているようです。船の大きさに比べてスクリューの部分がアンバランスに大きいのかな。というか全体も、ぎゅっと圧縮されたようなプロポーションで、不思議なかわいらしさがありました。 何人かの作業員さんたちが、建造中の船と地上との間に準備された階段を上ったり下りたりしています。きっとひとつひとつ作業は着実に進んでいるのでしょうが、こちらからみると随分のんびりしているようにも見えます。 書き出しに思わず「ふと」と書きましたが、コトバンク/デジタル大辞泉では最初にこう解説されていました。
きっと彼らには彼らの時間がありそれを生きている。そしてこちらにもこちらの時間があります。普段は出会うことのない二つの時間が、はっきりとした理由や意識もないままに ソフトクリームを介して隣り合った、そんな素敵な秋の午後でした。 こんなことを思ったのは、 若い知人からあいちトリエンナーレでの話を聞かせてもらったから・・・ かもしれません。 #
by prospect-news
| 2019-10-02 21:47
| 風景
『沈黙』で応えたい、これが『間』ですよ、と彼は言った。 今日の朝日新聞朝刊に磯崎さんの米寿を祝う会の記事が掲載されていました。 興味深いところを引用します。
たくさんの来賓の祝辞、それぞれの磯崎新像、思想遍歴・・・、それらの間には「沈黙」があり、いや、「沈黙」を意図的につくり、それを「間」と呼ぶ。そのあいだに「磯崎新」が在る/現れるのだと・・・。 ということでしょうか。 お誘いの連絡は頂いていたのだけれど、ちょうどその日は私たちが現在進行している二つのプロジェクトのうちの一方の地鎮祭に重なって、会場となっていた伊香保のハラミュージアムアークに出かけることはかないませんでした。 思いだせば、磯崎さんの還暦のお祝い会場もハラミュージアムアークでした。磯崎新アトリエに入社したばかりの私の初仕事は、大勢のVIPや皆を乗せて六本木から伊香保まで移動するためのバスの手配とその案内だったことを思い出します。あの時はまだ防衛庁が六本木にあって、その前に何台もバスを停めて皆さんを誘導したと記憶しています。文豪や哲学者にまじかでお会いして(というかご案内して)緊張しましたね・・・。 その後、喜寿のお祝いも同じくそこで。既に私は相方と共に独立していて、その時のことをこのブログに書いていました。 大分市の美術館でも今週から磯崎新の展覧会が始まるとのこと。 私が磯崎新アトリエで担当した「秋吉台国際芸術村」やそこで行われたルイジ・ノーノの現代音楽オペラ「プロメテオ」についての展示もあるようです。 さて、このような「わかりにくい」言説は、今どのようにとらえられているのでしょうか。そのあたりの様子に興味があるところです。 #
by prospect-news
| 2019-09-22 18:22
| 随想
何故か心地よい不思議なしなやかさがそこにある気がします。 先日の日曜日の夜から月曜日の朝にかけての台風は大変でした。 こちら横須賀でも大小さまざまな被害があったようです。しかしこんな自然災害がいつもどこかで起きているなんて一体どうなっているのでしょうか。千葉のほうでは未だに停電が続いているところもあるとか。今回こちらは大したことはなかったけれど、少し台風の位置がずれれたら何があったかわからない、そう実感しています。 そんな気分のなか、最近よく聞いているのは Faye Webster の音楽です。 米国アトランタ在住のシンガーソングライターとのこと。 SoundCloudではこちらのページがおもしろいです。 ここでは彼女自身の名義でリリースされている楽曲に加えて、参加したものやリミックスを試してみた(!)ものなどもあって、オリジナルとは異なる魅力が生み出されています。最近は皆そうなのかもしれないけれど、伝わり方や受け取られ方にとても気を遣っていて、というかそれを楽しみ利用していて、それが前提とされて、そういう意味では現代的なアーティストなのかもしれません。とは言え、YouTubeなどでシンプルな弾き語りなどをしている様子を見ると、それはそれでとても素敵です。 なんだかいろいろあって少々お疲れモードの気分には、何故か心地のよい不思議なサウンドです。 上の写真は彼女のSoundCloudページのアイコンをキャプチャーしたもの。 この様子、もしかしたら現代社会のある一面をとらえているような気もしてきます。フォトグラファーとも名乗っているようなので、ただ無邪気に面白がっているだけではないでしょう。むしろしなやかにその現れ方をコントロールしながら、それでも自身のコアなる部分を貫こうとしているような、そんなふうにも思えるのです。 #
by prospect-news
| 2019-09-11 21:55
| 音楽
奇跡的な公共空間をシュールな世界から覗き返した夜でした。 先日の日曜日の夕方、相方とその友達に誘われて横須賀美術館へ。 海に向かってなだらかに下ってゆく芝生の広場に足場のパイプと養生シートで設えられた無料の野外映画上映会。上映会(シネマパーティーと呼んでいるとのこと)は季節ごと年に2回行われているそうで、もう通算23回目とのこと。立派なことです。 洗練されているかどうかはわからないけれど、ざっくりとした手作り感はとても気楽な楽しさがあって、この場所にとてもよくフィットしています。 まだ明るいうちはまばらだった人々も、暗くなった頃には随分とびっしりの人々。上映されたのは、「Olle Eksell in Motion」から短編2編、高畑勲や宮崎駿らが1972年に製作した「パンダコパンダ」の3本立てで、全体で約1時間。夏と秋の間の静かな宵は、しばし楽しい映画の夜になりました。 行ったのは日曜日だったけれど、その前日の土曜日はもっと沢山のお客さんだったとか。公共の場としての一つのありかたが体現されていて、とても素敵な空間でした。 帰りの車のナンバーを見ていると地元以外のものもちらほらと。いろいろなところから人々が場所と出来事の魅力に誘われてやってきて、私たちも同じように楽しそうな場所があれば出かけてゆく。これが商業的なものではなく、公共サービスとして成り立つのであれば、それは本当に素晴らしいことだと思います。 子どもたちは、何も言われずとも楽しいことを見つけ出しています。 現代でいえばオラファー・エリアソン、あるいは1960年代の高松次郎でしょうか。 それにしてもあの「パンダコパンダ」という映画は何なのでしょう? 上映中はみんな大喜びだったけれど、よくよく考えてみると、随分と不条理というのか、意味不明というのか、シュールというのでしょうか・・・。 もしかしたら、これからはこんな公共空間や公共イベントというのは益々奇跡的なものになってゆくのかもしれない。そんなことを「パンダコパンダ」の世界から覗き返した夜でした。 #
by prospect-news
| 2019-09-03 23:29
| 風景
剥き出しの都市が、煙った線路の消失点に、一瞬姿を現した。 関内で所用を終え、横浜市営地下鉄に乗って打ち合わせに向かう。ブルーラインからグリーンラインにセンター南という駅で乗り換え。トンネルを抜けたあたりで大粒の雨が窓にあっているのに気が付く。 駅で次の電車を待っていると、ホームの先は霧がかかったような雰囲気、霞んでいる。なんだかルートヴィヒ・ヒルベルザイマーの都市計画、そのドローイングのような空気感。そういえばセンター南とか北とか、こういう駅名は普段この辺りになじみがない三浦半島の住人にとってはすごく不思議な感じがする。 ヒルベルザイマーは”超”モダニスト(という自分の中での位置付け)。彼はバウハウスでハンネス・マイヤーと共に教えていたが、その頃のバウハウスは、当初の人間主義的/ある種の理想郷的運動というよりも、近代的な人間や社会のありようを極限的に突き詰めようとしていたモダニストという印象がある。効率や経済といったものから建築や暮らしが逃れられないのであれば、それを極限まで突き詰めてみせよう、といったところか。このあたりの感覚は、レム・コールハース/OMAが斜に捉えながら継承している、と私は理解している。 一瞬、すべてを覆いつくす強い雨にさらされて、街はその原理を垣間見せた。 剥き出しの都市をこの煙った線路の消失点に見た、そんな気がした。 #
by prospect-news
| 2019-08-28 08:32
| 風景
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